放課後等デイサービスそらまめ2

みんなしりたいリンケージ今週のひみつ【放課後等デイサービスより】

みんな知りたいリンケージ今週のひみつは放課後等デイサービスそらまめ2からです。

今週のテーマは「怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情」です。

中学生の時に「国語」の時間に「漢文」て、習いますよね。

ほとんどの人は、お昼寝タイムだったとは、思うんですけど、

自分は、昔から日本語大好きっ子だったので、

けっこう覚えているやつも、ありまして、それについて、ちょっぴり話します。

 

題名にもありますとおり、

【怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情】

が、今回のテーマです。

 

これは、紀元前4世紀くらいの孟子が言ってた言葉。

怵惕( じゅってき )が、「びっくり」っていう意味。

惻隠(そくいん);が、「おもいやり」っていう意味。

 

だから、意味は、「びっくりおもいやりの心」という意味。

うーん、意味わかんないよね。

でも、意味わかんないなりに、中学生の時の自分は、思ったんですよ、

人間の心についての用語って、こんな細かいニュアンスの言葉まで

あるんだなーって。まぁ、ひつようかどうかは別として。

 

ちなみに、これの意味として、たとえ話みたいなのを、

孟子は話しています。

 

赤ん坊が、井戸のそばを、ハイハイとかしていたとしましょう。

よろよろっとして、井戸の中にころげ落ちそうになったら、どうです?

今にも井戸に落ちそうな赤ん坊!イメージしてください。どうですか。

 

イメージがわいたら、ふつう、「やばい、助けなきゃ!」ってすべての人が思いますよね。できるかできないかではなく、何かしらアクションをとろうとするじゃないですか。

 

孟子が言うには、こんな風に、すべての人は、急に起こった赤ん坊などか弱き者のピンチにとっさに助けたいと思う気持ちが生まれる。すべての人は、そういうやさしさを持つ。それが、「びっくりおもいやり」こと、怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情というのだ、と彼は言うわけです。そこから、論を進めて、彼は、すべての人が、そういう、いざというときの優しさを、心の中に持っている。ということは、すべての人は善の性質の一端を持っている。そこから、彼は、あの有名な性善説を説いていくことになるわけです。

 

その性善説の是非は、おいとくとして、中学生の時の自分は、自分が善い人間ではないと思っていたんだけど、俺にすら怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情は、あるなぁ、とおもったわけです。赤ん坊が、大変な目にあいそうになってたら、助けたいと思うし、とっさに手を伸ばしてしまうような気がする。とまぁ、思いました。

 

以上。おしまい。

 

この話に落ちはないです。そう、あなたがこの文章を読んでいるときに、落ちそうになっている私の文章を憐れんで、怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情を発揮してくれたのです。ありがとう。優しい皆さんの怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情のおかげで、赤ちゃんのような、この文章も落ちずに済みました。すべての人にありがとう。なんてね。

 

めでたくもありめでたくもなし。

 

 

ちなみに、以下蛇足。

いつも思いますが、

怵惕( じゅってき )惻隠(そくいん)の情は、もちろん、自閉症児者にも、あると思ってます。誰かが怪我しそうなとき、手を差し伸べようとする自閉症児は、わりと多いように感じています。自閉症児者には、人としての優しさがないわけでなく、周りの人の気持ちがわかりにくいだけなのです。やさしさを方法論として持ってないだけで、やさしさ本体が、心の中にないというわけではないと思います。なので、そこを、どう導くかが、療育者としての力量を問われるところ、なのでしょうね。そんな風に感じています。以上蛇足でしたとさ。

 

とっぺんぱらりのぷぅ。

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